【役者像・演技】北島マヤと姫川亜弓の徹底比較【才能・人生】
2018/01/12
永遠のライバル北島マヤと姫川亜弓。
奇しくも紅天女の座を競うことになったこの二人だが、その人生や性格、演技や役者の方向性は真逆であるとも言える。
今回はこの二人を比較してみた。
育ち・環境
まずマヤは母子家庭である。
横浜中華街の裏通りにある中華料理店「万福軒」に母親と住み込み。
父とは早くに没しており、作中その詳細を語られることはない。
「万福軒」はかなりのブラック体質であり、オーナーとその家族には奴隷のように媚びへつらわなければならない。
おおよそ6畳ほどと思われる部屋に二人で起居しており、テレビもなく、裕福とは言えない。
母親はマヤを愛してはいるものの、常に何もできない、何の取り柄もないと罵り、
それはマヤの自己評価及び、母親への愛とも合わせて大きな伏線となっている。
そんな中、月影千草と出会うことで演劇への情熱が燃え上がり、家出少女となるのだった。
つきかげの寮からは中学校へ通っていたものの、金欠と成績不良から高校進学を諦めかけるが、「紫のバラの人」の支援のもと私立高校に通うことができた。
つきかげの寮が閉鎖された後は、月影先生、青木麗とアパートの一間で生活している。
(もっとも月影先生は病院にいる時間が長かったが。)
一方の姫川亜弓。
父は映画監督の姫川貢、母は大女優の姫川歌子という芸能一家。
その生活は超セレブである。
稽古場や劇場へは常に送迎車。
自宅は門から建物まで数百mはあると思われる大豪邸で、梅乃ばあやを筆頭に多くの使用人に囲まれて生活している。
そのセレブなソーシャルイメージのため、地下鉄に乗っている、ハンバーガーを食べているだけで驚かれるという人である。
貧乏な主人公と金持ちのライバルという構図は、数多くの創作物で使い古された感すらあるベタな展開。
しかし、貧乏なマヤは芝居への情熱は持っているものの、貧乏から脱出したい、演劇で大成功して金持ちになりたい、というハングリーさが一切ない。
そして亜弓も、自身の境遇がアドバンテージになっていることを嫌っており、何もないがゆえに本質が評価されるマヤを羨んでいるのである。
マヤはその貧困ゆえに、日々の楽しみを演技ごっこで埋め続けて、日常の中で演技の訓練を知らず知らずの間に行った結果、その片鱗を月影千草に見出されたことで演劇の世界を志す。
貧困から発した演劇の世界への入り口ではあるものの、
貧困から脱出することが演劇の目的ではない。
亜弓も両親の影響と恵まれた環境で物心ついた頃から芸能界へ入っているが、
七光り、コネと思われることを何よりも嫌っており、
作中ではマヤを陥れた田代鈴子と共演するためだけに、父親の力を借りただけである。
つまり両人とも演劇界への出発点はそれぞれの環境であるが、
両人ともその演劇へのスタンスにおいてはその環境は全くと言っていいほど関係なく、
むしろお互いの環境を羨んでいる風すらあるのである。
性格・特技
「つまらない子」
これがマヤの自己評価である。
勉強は苦手。運動も苦手。
家庭科など手先を使うことも苦手で、
日常よく転ぶ、ゴミ箱に激突する、遅刻するなど、
十代とは言えよくこれで生きてこれたものだと感心するほどである。
唯一の特技はテレビや舞台で見た話の台詞を一度見ただけで覚え、演じてみせるという離れ業。
これが月影千草との出会いのきっかけにもなっている。
これほどの恐ろしい才能を持っているなら、せめて国語の成績だけでも良さそうなものだが。
逆にマヤほどの演技力と解釈があると国語の先生に嫌われてしまうかもしれない。
実際に中学校の演劇では独自の解釈で演出の先生を激怒させている。
性格は極めて明るく、これと決めたことは誰が止めようが貫く根気も持ち合わせている。
しかしながらその方向性が若干ずれていることもあり、その浮世離れした行動と発言で敵も少なくない。
周辺の人物や認めてくれた人以外からは変人扱いされることも多く、
図々しい、世間知らず、調子に乗っていると評価されることも。
しかしそれらの評価すらも演技力で覆してしまうという恐ろしい子である。
一方の姫川亜弓はチート、完璧超人である。
学業は学年トップ、運動も得意。
バレエや日舞などを習得し、
運動会で転倒し、数十メートルの差をつけられたにもかかわらず追い抜くという俊足の持ち主でもある。
自身の向上には並々ならぬ意欲を持っており、どんな困難や難事も努力で切り抜ける。
物事の本質や論理を見抜く鋭い観察眼を持っており、
自身が認めたもの以外には冷酷。
むしろバカにしている、蔑むといった言動も多く友達がいないのはそのせいである。
また目的のためには手段を選ばないリアリスト。
特に芝居関連では容赦なく、マヤを不当に陥れた田代鈴子を叩きのめすため、
あれほど嫌がっていた父のコネを使い、共演舞台をセッティングし、
頼まれてもいないのに仇を取った宣言。
一方で両親の七光りと思われることを嫌い、実力のみを評価されたいという芸能界にあっては理想主義と言わざるをえない部分も持ち合わせている。
そして両親の援助を排除するため自宅を出て、
中野にある父親のマンションに住み、
たまに世話役のばあやを呼ぶという世間知らずかつ矛盾した一面もある。
外見・恋愛
マヤは美人ではないかわいくもないパッとしない地味な子というのが周囲の評価。
自身もそれを自覚しており、亜弓をつねに羨んでいる。
おチビちゃんとごく一部の変態から呼ばれていることからも身長は高くはない様子。
しかしながらその平凡な風貌すら克服する
浴衣や水着、制服にも匹敵する「演技」という驚異のモテモテアドバンテージを持っている。
ロリコン若社長、桜小路優、嵐が丘で共演の真島くん、トップアイドルの里美茂など共演者・関係者にもてまくり。
また恋愛とは異なるものの、速水英介もマヤに興味を持っている。
一方の亜弓は誰もが認める美人。
身長もマヤよりも高く、生まれながらにして美しく、ヒロイン役、姫役などのキャスティングには誰もが納得する。
しかしその高嶺の花的な存在からか浮いた話はあまりなく、
「恋している瞳」の演技の習得のためだけに、共演者の端役の間進くんを利用したのと、外国人カメラマンのハミルとなんかちょっといい感じになりそうなくらい。
恋愛に関してはマヤの方が相当リードしている結果になっている。
演技力・役者としての方向性
「役に近づく」「役を近づける」
演技の役作りにおいてよく言われる話ではあるが、
要は役のイメージに自分を合わせるか、自分のイメージに役を合わせるかということである。
「この役者さん、見るたびに雰囲気が違うね。」
という山田Tさんのようなパターンと、
「この人、何の役やってもこの人だよね。」
という木村Tさんのようなパターン。
(あくまでも個人的な意見です。)
大体世の役者は上記の二つに大別されるがマヤと亜弓はどうか。
マヤはどちらかといえば前者のタイプか。
役のイメージに忠実なことよりも、マヤなりの独自の役が多いといえる。
しかし、マヤ本人は自他共に認める「つまらない子」
そのつまらない子が芝居の中では全くの別人になることがマヤの芝居の楽しみでもあり、
マヤならではの意外性、想定外の演技もプラスされるのが魅力。
つまりマヤが演じる人物はマヤ本人でも、一般的な役のイメージでもないのである。
その演技力は天才というより他なく、その持つエネルギー、役の中を生きる力は超一級品。
荒削りだが160キロ超の剛速球を投げるピッチャーである。
しかしながらそのエネルギーと、周りが見えない本人の性格もあって、
周囲の芝居に合わせられない、周囲の演技から浮いてしまうという場面も多々あり、
原田菊子率いる栄進座では、「舞台あらし」の二つ名すらゲットしてしまう。
月影先生もそのもろさを危惧しており、キャスティングの際にはその欠点を克服するための役をあてがう。
そしてその芝居のエネルギーを発現するには、
高熱、舞台の妨害、強烈なライバルの出現、誰もが目を疑うキャスティングなどのイベントが必須。
ハマればものすごいが好不調の波が激しいピッチャーのようなものでもある。
一方の亜弓はどちらかといえば後者。
しかし亜弓の性格やイメージだけではなく、誰もがイメージする役柄を忠実に演じきる技量も併せ持っている。
よって姫やヒロインなどにキャスティングされることが多いが、それを本人は気に入らないようで、
こじき役や三枚目の使い魔役(どう見てもブラックデビル)にも興味津々。
そしてそれらの役を掴むためには
路上で実際に物乞いをする、
裏街の片隅で乱闘する、
地下劇場で起居するなど手段は選ばない。
そして亜弓はそうして得た役を表現するテクニックの宝庫である。
バレエや日舞などから鍛え上げられた肉体と華麗な動きで観客を魅了する。
しかしそれは亜弓にとっては諸刃の剣である。
例えるならまだまだ速球が早くなる余地があるのに、変化球ばかりを極めようとするピッチャー。
表現の技術の追求に走りがちで、役の本質や心のエネルギーを追求する場面がないとは言わないが少ない。
特にマヤの圧倒的な演技力を見せつけられた後は
「あの子には負けたくない」
といって大体踊ってる印象。
マヤの剛速球を見て恐れるがあまり、変化球の鍛錬に走る傾向がある。
そんなんやからマヤに勝てないのでは・・・と歯がゆくてならない。
まとめ
以上、今回はマヤと亜弓の比較についてまとめてみました。
ちょっとうろ覚えな部分もあるので、もう一度熟読した上で追記編集してまいります。